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南昌便り② 春待つ心


 日本ではバレンタインデーの昨日、2月14日は中国では初十五、元宵節(げんしょうせつ)といって旧正月の終わりの日でした。春節前から始まった旧正月を祝う諸行事がそこで終わります。昨朝も6時前にあちこちから爆竹の盛大な音が聞こえてきて眠りを破られました。そして昨夜は名残を惜しむかのように四方八方から花火と爆竹が鳴り響き、今朝からはしずけさが戻ってきました。この後はまもなく南の方から春の訪れの声が聞こえてくるのでしょう。


             南昌市役所前の春節飾り

 今年の春節(初一)は1月31日。中国国民にとって1年を通して最大のイベントで、『春運(春節期間中の交通混雑)』と言う言葉があるほどの民族の大移動の時期です。今は航空機路線の充実や新幹線の全国ネットの進展、車の普及と高速道路網の整備などでかなり交通事情もよくなってきているようですがそれでも何億という人の流れが集中するのですからどこも交通機関は大変な混雑状況でした。日本の年末年始の帰省風景に似た光景がテレビを通して連日報道されていました。

 春節につきものの爆竹は一時期、規制の動きがあったようですが、その後はどうなのでしょうか。私の住んでいるここ南昌の宿舎の周りでは、1月中旬頃から爆竹や花火の音が結構夜遅くまで聞こえるようになりました。生徒に聞くと春節に備えたフライイングもあるけれど、春節を前にしたこの時期は結婚式シーズンでもあるとのことで、その祝いの爆竹や花火というわけです。何でこの時期の結婚式かというとすぐに春節で一族郎党が集まるため、まとめて披露が出来るからだそうで、中国人もなかなか合理的なんだな~と感心しました。

 旧暦の大晦日(1/30)は小生の受け入れ窓口である南昌市外事弁公室幹部の章さんがご家族の越年の食事会にご招待下さり、総勢30人のパーティを楽しんできました。87歳になる章さんのお母さんの5人のお子さんとそれぞれの家族、章さんの奥さんのご兄弟や婿さんのご両親等々色んな方が集まって一族郎党30人になるのだそうです。都市部ではさすがにこの人数になると自宅ではなく、ホテルなどでのパーティが次第に一般的になっているようです。



     章さんの家族             陳さん親子

 20品を超える大ご馳走と52度の白酒にいい気持ちになって宿舎に帰り着きましたがそれからが大変。時計の針が夜中の11時を示す頃からそれこそ町中で爆竹と花火の音が鳴り響き始めました。轟くと言った方が適当かもしれません。年が変わる12時には更に激しさを増し、いつ果てるとも知れずといった感じでした。

 翌朝はまた5時頃からバリバリドンドン。聞きしに勝る賑やかさでした。初二、初三と少しずつ減ってきましたが初十五の昨日まで春節期間中ずっと続いて鳴り響いていました。

 元日と2日の日中、街の様子を見がてら中心部にある八一広場や八一公園、それに南昌駅のあたりを歩いてみましたが、人出は多いものの家族連れや仲間同士で楽しんでいるといった様子で、何か特別のイベントがあるとかといった雰囲気はありませんでした。

 考えてみますと私達が子供の頃の日本のお正月も、大人と一緒に外で凧揚げや羽根つきをしたり、子供同士で遊んだりとやはり家族が中心だったように思います。そういう意味では中国人の正月を祝う習慣は我々が今はもう失った形を未だに守っている、そういえなくも無いかもしれません。

 それにしても初めて現地で春節を体験できたことは幸せなことでした。



    八一広場の家族連れ      八一公園・・カラオケを楽しむ市民

 1月31日からの春節休暇は大変興味深いものでしたが、意外と質素というか簡素というか穏やかに過ぎていきました。爆竹と花火の音だけは想像をはるかに超え、夜中だろうが早朝だろうがあちこちで鳴り響いていましたが、本来的にお正月は家族で過ごす習慣のようで町の中ではさしたるイベントなどもなく、いつもなら賑やかに商売しているお店が春節の数日前から10日間ほど店を閉めている分ひっそりとした感じでした。たぶん都市部を離れて農村地帯へ行くとこの機会に帰省する人たちで賑わっているのかもしれません。



      除夕(おおみそか)   閑散とした文教路

(こんな経験もしました)

 この時間(こちらは2月27日午後10時45分)に突如花火が打ち上げられています。前の報告記にも書きましたが花火や爆竹は春節の時だけかと思うとそうではなく、結婚式、更には誕生日、葬式など人生の節目節目に打ち上げるものなのだそうです。

 今日近所でお年寄りの葬式がありました。夕方通った時大勢人が集まり道路にも机と椅子を並べて宴席を作っていました。多分今鳴っている花火も葬送のためのものなのかもしれません。お互い様なので皆さんなんとも思わないのでしょうが、なれない小生には夜中の突然の花火や爆竹は驚き以外の何物でもありません。

 そしてその翌朝5時半、けたたましく鳴り響く花火の音で目が覚めました。昨夜の続きのようですがよく分かりません。土地の人に聞いた話では冠婚葬祭など人生の節目に賑やかに祝うため、あるいは邪気を払うために打ち上げるのだそうですが、そのほか立春とか啓蟄とかの二十四節気の都度、打ちあげる人もいるそうです。今日は二十四節気とは関係がありませんのでやはり昨日の葬儀の関係かななどと考えているうちに目が覚めてしまいました。

 そのあと掃除のオバサンに花火のことを聞きましたら想像どおり近所のおばあさんの葬儀関係で魂を天に送るので打ち上げるのだそうです。なんと3日間続くとのことです。明日も朝早く覚悟しないとダメなようです。

 そうこうしているうちに昔福島県二本松市に住んでいた頃、やはり突然花火が打ちあがり驚いたことを思い出しました。その家の跡取りの男の子が生まれると花火が上がっていました。

 日本と中国はやはり近い国なのですね。


 中国には昔から九九歌(じゅじゅが)と言う戯れ歌があります。冬至の翌日から数えて九九=81日間で冬の寒さが去る(9日周期で陽気が進む)と言う考えがあり、冬至の日に81個の梅の花の絵を1枚の紙に描いたものを用意し、毎日1つずつそれに色をつけて消してゆき春の訪れを待つ。 ちょうど元宵説の昨日あたりが六九=54日目位に当たります。一九・二九は不出手、寒くてポケットから手を出せない、 三九・四九は氷上走、水溜りに張った氷を踏んで歩く、五九・六九は沿河看柳、川沿いの柳が芽を吹き始め春の息吹を感じる・・・・・といいます。第1周期から第4周期までは一番寒さが厳しい時期、第5~第6周期になると少し寒さも峠を超えるということでしょう。何となく納得がいく歌で、もう暫くすると南昌でも緑が見られるようになるのでしょう。

 ちなみにこの後は七九河開、八九燕来、九九消寒、九九加一九耕牛遍地走となります。

      ・・・2/15南昌にて 豊田英紀・・・

 こちらの授業も昨日から再開しました。1月はペースがつかめず、4課の途中くらいまでしか進めませんでした。生徒からも「3ヶ月で9課ですね」などと言われましたが、2月以降は週2課くらいのペースに上げていこうと思っています。それでも15課から20課くらいまででしょうか。次の方にあとは託すことになりそうです。


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