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南昌便り③ 日語角(日本語コーナー)


こちら南昌での生活もいよいよ残り2週間となりました。羽が生えたように毎日が過ぎていきます。授業は27日で終わり、30日に南昌を発って途中杭州・上海でそれぞれ2泊して少し歩いた後、4月3日に帰国の予定です。



   1/18初めて日語角へ   博堅先生、劉波さん他のみなさんと

 さて今回は以前にも少し触れましたが当地の「日語角」(日本語コーナー)についてお伝えしたいと思います。

 市内の中心部に八一公園(はちいちこうえん)という市民の憩いの場所があります。1927年8月1日に周恩来や朱徳率いる共産軍が蒋介石の国民党軍に抵抗して、ここ南昌市で立ち上がったことに因んで町の中いたるところに「八一」という名前がつけられています。この八一公園の中の一角に「日語角」(日本語コーナー)があります。

 ここは毎週土曜日の朝10時頃から12時頃まで、日本語を話す目的で市民が集まってくる場所です。江西師範大学や江西財経大学などいろんな大学で日本語を勉強している学生達や、そのO.Bたち、それに日本へ留学や仕事の関係で行ったことのある人たちです。日本人はここの大学で日本語を教えている
家(専門家)の何名かと、南昌でこちらの企業と合弁で事業展開中のいすゞ自動車の駐在員数名が顔を出しています。(ちなみに南昌市内に長期に亘り滞在している日本人は40名位、江西省全体でも60名くらいではないかとのことです)

 こちらに来る前からこの日本語コーナーのことはよく聞いていたので、私もほとんど毎週参加しています。このコーナーは博堅(はく・けん)先生(81歳 先生については最後に少し詳しく紹介します)が29年前に立ち上げ、それ以来純粋に市民の力だけでずっと維持・発展してきたグループです。 「これだけ長く続いている日本語コーナーは中国広しとは言え、どこにもない」と皆さん自負しています。

 メンバーは現在60人ほどで、いつ行っても15名から20名位の人が集まり、和気藹々おしゃべりを楽しんでいます。日本語学校講師の日本人や、あるいは最近日本から帰国したばかりの南昌の人を取り囲み、いくつかのグループに分かれてそれぞれ自由に会話しています。そして12時を過ぎると三三五五、連れ立って近くの食堂へ出かけ食事をしながらおしゃべりの続きを楽しみます。先週は食事の後2人の女子大学生に案内してもらって繁華街の散策を楽しみました。

 南昌市は四国の高松市と15年ほど前から姉妹都市になっていて、結構人々の交流が盛んだそうです。日本語コーナーの会員だった若い学生の留学や企業人の研修派遣などでこれまでに何百人かの人が高松を始め四国各地へ行っているそうで、そうした人たちが帰国して市内の色んなところで活躍していることも、親日的な雰囲気をもたらしている理由の一つなのでしょう。日本の大学を卒業後大学院で勉強を続け博士号を取って帰国し、こちらの大学で教鞭をとっているといった人などもいます。

 このところの日中関係の悪化で少し交流に水を差されている感が無きにしも非ずですが、皆さんいずれまた交流が盛んになることを待ち望んでいるようです。


 ここでコーナーの創設者・博堅先生について少しご紹介します。先生は1933年に福島市で生まれ、戦前20年間に亘り日本の福島高商や東北帝大で教鞭をとったご両親の元で11歳まで福島市で過ごされました。日中戦争さなかの1944年に中国・北京へ引き上げられました。お父上は帰国後も華北交通大学学長を務めるなど要職に就いておられましたが、1946年日本人引揚者に大学を開放して便宜を図ったことが罪に問われ逮捕投獄され、保釈後間もなくそのショックから痴呆になったそうです。

 先生は帰国後新聞売りなどして学資を稼ぎ学校へ通います。1949年に革命軍に参加し、その後起こった朝鮮戦争にも従軍されたそうです。しかし日本からの帰国者であったことから日本関係者として軍を追放されるということも経験されます。その後文化工作団で俳優、脚本・原作執筆などの活動に専心し、後の江西省歌舞団の実力者としての礎を築きました。1966年、文化大革命では4年間の下放を経験、その後復帰し日本からの訪中団などの通訳などをしておられたそうですが、またもスパイなどの嫌疑を受けるなど、時代と国家に翻弄される人生をあゆまれました。

 そんな先生ですが中国にも日本にも、どちらにも強い愛着を持ち続け、1985年に省政府の許可を受けて八一公園内に「日語角」を開設し、南昌市民に解放してきたそうです。

 来年30周年を迎え、記念の行事をしたいという南昌市民の声はありますが、今の日中間の政治的緊張が強い中では南昌市や高松市という行政がかかわる形でのイベントは開催困難なようです。でもこのような市井の人がいて日中の交流を底辺で支えていることを皆さんにも知っていただきたく、ご報告した次第です。



 先日(3/7)、江西財経大学外国語学院日本語学科に招かれ、1~3年生約60人の学生を前に1時間半ほど話をしてきました。(話は1時間、質問が30分ほど)。小生の会社員時代のことや中国との係わり合いのこと、日本の高度経済成長期と中国の今との対比、そして定年後今やっているボランティア活動のことなどをテーマに話をしました。中国の大学の制度は大変複雑(後記参照)でまだよくわかっていませんが、かなりの大学に外国語学部があり、日本語学科を設置しているところも多いようです。訪れた江西財経大学もそんな大学のひとつです。生徒は半数が江西省内の出身、半数がその他各地の出身者で、一番遠い生徒は黒龍江省出身とか言っていました。

 女生徒5対男生徒1くらいの比率で圧倒的に女子の比率が高いのが特徴です。

 3年生に聞いたところによれば将来日本留学や日本企業への就職を考えている学生が約2割、残りの学生も中国国内にあって日系企業等日本語を生かせるところに就職したいとのことでした。

 私が話している間、居眠りしたり私語を挟んだり、携帯をいじったりする学生は誰一人いなくて、メモを取るか、じっと私のほうに視線を向けるかしていました。終わって次々と質問が寄せられ、その熱心な態度にとても感動しました。最近の日本の大学がどんな状況かはよく知りませんが、町を歩いたり、電車に乗ったりして感じる日本の若者と比べると、きらきら目を輝かせながら日本語を、日本人の話を理解しようとする彼らの純粋さや学習意欲は話していてビンビン伝わってきました。正直言って驚きであり、国力が充実している中国の今の状態をさもありなんと実感した時間でした。



     江西財経大学            講演に臨む  

(田中弘美先生への便り)

 楽しかった学生の皆さんとの交流に軽い興奮を覚えつつ昨夜はベッドに入りました。皆さんきちんと話し手の方に視線を向け私語を挟んだり、居眠りをしたりする人も一人としていなくて、気持ちよくお話させていただきました。またいろんな方から質問をしていただきそれも嬉しかったです。さすがに田中先生や陶さんたちが手塩にかけて育てている生徒達と感激いたしました。司会進行や裏方でご準備いただいた生徒さんみんなによろしくお伝え下さい。

 めったに得られない機会をお与えいただき、私のほうこそ感謝申し上げます。南昌での大切な宝物になることでしょう。

(なお後日、当日の幹事役の一人、王博さんから下記の礼状が届き、また3年生のみなさんそれぞれの書いた感想文を受け取りました。)

南昌高松中日友好会館 豊田英紀先生
 拝啓 最近、ずっと雨が降っていましたが、数日前からようやく雨が上がってホッとしました。さて、先日は、お忙しい中、わざわざ江西財経大学にお越しくださり、まことにありがとうございました。先生を囲む会はとても有意義に過ごせました。先生のお話を伺って、私どもは本当にいろいろな勉強になりました。先生は「やりたいことがあったら、先伸ばしせず、すぐにすること。失敗して泣いても大丈夫です。すぐに教訓をしっかりとまとめて努力し続けばいいです」と私たちを励ましてくださいました。その言葉は本当に印象は深く残って、私は心を奮い立たせました。一番難しいのは行動しよう腹をくくることですね。そのような元気と心から生活を愛する先生の熱意に感銘を受けました。先生は1960年代の日本について教えてくださいましたね。お蔭様で以前より多面的に日本の歴史を知ることができました。
どうか今後とも、よろしくご指導をいただきますようお願い申し上げます。
先生のご健康を心からお祈り申し上げます。         敬具
      
           江西財経大学外国語院日本語学科 3年王博



 この学校の日本人教師は田中先生一人で、4年間引っ張ってきたそうです。講話と歌唱指導(?)が終わった後、学食で当日のリーダー役の数人の学生を交えて一緒に食事をしましたが、どの子も礼儀正しくまたとても気持ちよく会話が弾み、資質もよいのでしょうが何よりも田中先生のご指導が行き届いているのだなと思いました。

 とにかく心に残る体験をさせてもらいました。


(家族の来訪)

 家内と娘と孫の3人で3月12日から18日まで南昌に来ることになっています。教室に来ている生徒たち、南昌市の関係部門の方たち、日本語コーナーの人たちそれぞれが「奥さん達が来たら歓迎会をしましょう」とか「どこそこへ案内します」とか言ってくれています。そうなんです。そんな雰囲気の人たちなのです。どうして皆さんそんなに・・・・・・・。びっくりです。




 外事弁公室の面々と   
波さん、媛さんと   周さん宅にて

 会館での私の授業は生徒が2人増えて4人になりました。数は少ないですがこちらも楽しくやっています。大分息が合ってきました。お互いが言いたいこと、分からないこと、それが何かと言うことが阿吽の呼吸で通じ合えるようになってきて面白くなってきました。大分ピッチも上がってきましたがテキストの最後まではとても終わりそうになく、次の講師に迷惑をかけることになりそうです。



  
罗君さん、君、程君        宿題ノート  

 先週から週末に作文を提出させて月曜日に添削して返すということを始めました。数回しか出来ませんが第一回目はそれでもたどたどしい日本語で一生懸命考えて書いてくれました。受け取る瞬間は嬉しいものですね。 

 冒頭にも書きましたが4月3日に90日ぶりで帰国します。まとめた形での南昌便りは多分今回が最後になると思います。3ヶ月間に亘り本当に楽しい経験をさせていただきました。駄文にお付き合いいただき感謝いたします。少しでも中国・南昌のことを理解していただけたとしたらこんなに嬉しいことはありません。ではまた。再見!! 

         ・・・3月15日 南昌にて 豊田英紀・・・



 今日を含めて残り4日、大詰めを迎えました。3ヶ月間、ただの一度も不快な思いをすることなくずっと何時も暖かく接してくれた南昌の人たち、気持ちよく送り出してくれた家族のみんな、滞在中始終連絡をくれて励ましてくれた日本の友人達、みんなのおかげで本当にいい経験をさせてもらったと感謝の気持ちでいっぱいです。再見!!
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 ( 忘れえぬ思い出 )
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       江西財経大学日本語課  周さん  

 3月29日(土)、南昌滞在最終日。夜行列車で南昌に別れを告げるその日に、また心に残るすてきな体験をする。

 日本語コーナーへ出かけたところ、江西財経大学の周文毓さんから「記念に」といってマジックリングをもらった。周りにいた学生がやらせてといって扱っていたところ地面に落としたリングが転がって池の中に「ポチャン」。周さんも残念そうな顔をしていたが如何ともしがたくあきらめざるを得なかった。

 ちょうど同じ頃、小生の眼鏡のレンズがはずれ、困っていたら来合わせた程君が「先生、私が預かって修理してもらい、会館に届けます。」と言ってくれたのでお願いした。夕方5時頃、程君が小生の部屋に姿を現し、修理の終わった眼鏡を届けてくれた。礼を言うと「先生、もう一度手を出して下さい。」と言ってなにやら手渡してくれる。開いて見ると、なんと八一公園の池に落ちたリングがそこに。わけを聞くと我々が帰った後、程君と落とした張本人の2人で池に入り、探し出して届けてくれたとのこと。

 感謝感激、本当に嬉しかった。

 後日、田中先生を通じて周さんにリングが私の手元に戻った経緯を伝えたところ、大喜びしていたそうだ。

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(中国の大学について)  江西科技師範大学 八木先生
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 中国の大学の区分は少し複雑なので、 できるだけ簡単に分かりやすく説明します。
まず、現在の中国の大学は、その名称にかかわらず ほぼ全てが総合大学です。
 例えば、江西農業大学にも英語や日本語の専門がありますし、おそらく、経済の専門もあると思います。

 そして、日本の大学の「学部」に当たるのが「学院」です。日本の総合大学にいろいろな学部があるのと同じように、中国の大学にもいろいろな学院があります。例えば、「文学院」「歴史文化学院」「法学院」「外国語学院」「経済管理学院」「化学化工学院」「材料与機電学院」「医学院」「薬学院」などです。

「南昌大学医学院」を日本風に言えば、「南昌大学医学部」です。
「江西科技師範大学外国語学院日語系」は、「江西科技師範大学外国語学部日本語科」となります。




     江西師範大学            江西財経大学  

 また、中国にも公立大学と私立大学の区別があります。但し、大部分の大学は公立大学で、私立大学は、とても少ないです。また、中国の大学は、入試の最低合格ラインで一流、二流、それ以下、という感じに分けられています。私立大学は二流以下と考えていいと思います。もっとも、どんな大学にも優秀な学生はいるので、私立大学の学生がみんなバカというわけではありません。大学入試の最低合格ラインが低いというだけです。

 ここから、少し理解しにくくなると思いますが、中国には、公立と私立の中間にあたる大学があります。つまり、公立大学と民間が出資して新しく作った大学です。それらの大学は「3本」と呼ばれ、例外はありますが、入試のレベルはかなり低いです。また、授業料も高いです。もちろん、私立大学の授業料も高いです。それらの大学の名称は、まず公立校の名前、そして、その後ろに「~~学院」が添えられています。

 例えば、南昌大学の3本は「南昌大学科学技術学院」です。但し、この場合の学院は、上記「学部」に相当しません。この場合の「学院」は、「独立学院」と呼ばれ、公立大学の名称を受け継いではいるものの、別大学扱いです。ですから、「南昌大学土木学院」と「南昌大学科学技術学院」は、全く意味が異なります。前者は、南昌大学の一学部です。後者は、南昌大学と民間が出資して新たに作った別の大学です。

 そして、3本の大学も公立大学と同様に名称にかかわらず、学部数が少ない場合もありますが、総合大学です。

 但し、公立大学の教員がアルバイトでその三本の大学で教えることはよくあるので、全く関係がないとは言い切れません。そして、「江西科技師範大学」の三本の学校が「江西科技師範大学理工学院」です。独立学院ですので、基本的には、「江西科技師範大学」とは別の大学になります。

 同様に江西財経大学には「江西財経大学現代経済管理学院」、「江西農業大学」には「江西農業大学南昌商学院」、「江西師範大学」には「江西師範大学科学技術大学」などなど、多くの大学が3本の大学を持っています。

 どうですか。理解していただけたでしょうか。非常に複雑なので、今回は割愛しましたが、「3本」に対する「1本」「2本」という区別もあります。

 また、四年制の本科と三年制の専科、大学と同様の高等教育機関ではあるが学校名が「~学院」となっている学校などなど、とにかく、中国の大学の名称と区分は一言では説明できません。

 まずは、「江西科技師範大学」と「江西科技師範大学理工学院」は、別の大学と理解してください。
                              八木典夫

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      南昌市外事弁公室の女性達(安義県の菜の花畑にて)