老師 金融経済専科特別講師として大学の教壇に立つ・・もう思い残す事はない!
[金融経済特別講師] [教壇に立つ] [学生との別れ]
2014年12月03日 18時50分
12/2日 星期二
明日財経大學の金融経済専科特別講師として登壇する事が急遽決定!
勿論前々から依頼はされていたが、日程調整に手間取り明朝10:20〜12:00と為った次第である。
何故私に”白羽の矢が立ったか”に就いては、先日記載の通り日本損保業界という実業の世界で培った40年の知識体験は、中国人大学教授の及ぶ所に非ずというT教授の独断専行に基ずくものであり、お恥ずかしき限りなるも「日中友好」の観点から、多少なりともお役に立つならということで、罷り越す事になった次第であります。
依頼講義内容は損保業界取分け主要種目・自動車保険の経営と実務に就いてだから、player-managerとして担当職務を持ちながら12年間も損保経営に携わってきた実績は卑下するに能わず・・・
とは申せ知っている事体験した事と教える事は別次元の問題であり、学生諸君に専門用語も含め正しく理解させられるかどうか甚だ心許なき次第為れど、担当教授の通訳解説も含め協力の確約が取れたので、重い腰を上げたのであります。
引き受けたからには徒や疎かに出来ず、学生用の判り易い説明資料を6枚用意準備怠りなく、明朝の9:30お迎えの車を待っている次第・・・
12/3日 星期三
当日9:20会館一階ロビーに降りたら、既にお迎えのT教授が待っておられ直ぐに出発、生憎の雨の中一路大學へ・・・先日伺った時はあまりにも壮大で全景を捉えられなかった正面ゲートの撮影に先ず挑戦!
今回も桁外れのスケールでフレームに収められず・・中途半端で申し訳ない!
|
|
教室に到着すると既に学生は全員待機していたので 定刻前だが即授業を始める。
講義時間を2時間も戴いた結果となったので、OHPに映し出された資料を参照しながら、丁寧に講義を進められた。
損害保険の定義に就いて、偶然な外来の事故・料率自由化の経緯に力点を起き、特に1996年以降の自由化施策外資導入・生損、銀行、証券の垣根の撤廃等護送船団方式から自由競争時代へと大きく舵を切った結果としての業界”合従連衡”に至る時代背景も含め通訳を交えながら判り易さを念頭に説明。
保険料に就いても保険の原理・大数の法則・給付反対給付均等の原則・純保険料と付加保険料の違い
保険商品に就いては商法上の・金融監督庁の規制・約款に関する作成者不利の原則も含め、加え種々の保険商品に至るまで・・・
保険会社に就いては保険業法の定め・破綻の救済・損保業界の実態・市場規模・メガ損保のシエアー・代理店制度等々掻い摘んで説明しその後主力の自動車保険の経営と実務に就き体験も交えながら熱く語る。
担当教授の中国語解説も戴きながら質疑応答もそつ無くこなし定刻12:00に恙無く終了!
一挙に肩の荷が下りた思い・・次の瞬間猛烈に空腹を覚える。
T教授を先頭に学生達と学食を食わんと急ぐ・・小型の教授車に7人乗りで激しく降っている雨の中食堂になだれ込んだ。
昼間なので酒なしだが一仕事終えたあとの満足感で楽しく美味しく昼飯を戴いた。
学生達との別れが辛いが彼女たち一人一人の面影を胸に・・・送迎車で校門を出る。
突如特別な感情に襲われた・・・此れは誰にも言うまい・・71歳の胸にしまって中国を去ろうと思う。
老師 12/12日大學での歌唱指導の為リハーサルに望む! 名曲神田川・昴で勝負か?
[会館に新入生] [歌唱指導] [緊張感]
2014年12月05日 20時24分
12/5日 星期五 12月になり会館に又新しい生徒が入校し俄然活気の様相を呈す。
10月当初からの高松穴吹留学が決まっている18歳の男の子、11月入校の女子大生(4年生)二人に加え来春東京目白大学に留学する(大卒)22歳の長身痩躯な如何にも金持ちの子弟という感じの現代青年であった。
面接するも大學留学にしては日本語が覚束無い、来年4月でまだ少し期間があるとはいえ、この状態で大学の授業に付いて行ける筈は無いと思ったが、初対面だし口出しを遠慮した。
取敢えず午後の授業で18歳男子と同じ授業を受けさしたが実力の差は歴然!むしろ改めて18男子の成長振りに驚いた次第。
事程左様に会館における日本語指導も、10月の開店休業期と比べ朝授業と昼授業の掛け持ちで白熱す!
ただ12/27日には帰国が決まっており、残日数を考えると焦りを覚えたが3ヶ月限定の当初からの決めごと故、如何ともし難く後続の先生に後事を託し、新入学生の頑張りに期待し祈るばかり・・・
12/6土曜日にて「日語角」開催日、私にとって来南当初唯一の活躍の場も、後3回を残すのみと相成った。
初参加の時の興奮が今も忘れられない!
10時きっかりに公園に馳せ参じるも既に30人ぐらいの集団がおり、其の集団が一斉に振り向き私に注目してくれた!
20名ぐらいの女学生に囲まれて矢継ぎ早なる質問の嵐!タップリ2時間の攻勢をかわし、その後5時間に渡る大歓迎会も今と為っては懐かしい思い出となる・・・
明日は其の「日語角」を残念ながら早退し、農業大学の歌唱指導に備えリハーサルをリーダーの女学生三人と会館で行う予定!
伴奏のE教授はバイオリン・チェロの名手とかで当日音合わせのみ、厄介な事に巻き込まれた思いで当惑す・・・
現役時代転勤先の仙台国分町・名古屋錦.栄町・大宮.宇都宮・新宿歌舞伎町・銀座.赤坂.六本木と赤いネオンに誘われて夜な夜な徘徊し鍛えた歌唱力?
に今も翳りは無いが、脂粉に塗れた夜の蝶の前ならいざ知らず、清らかな乙女の前で聞かせる歌など持ち合わせておらず、本当に困り果てておる次第。
大學経営・TV界の実力者で南昌人なら知る人ぞ知るE委員長に見込まれたのが運の尽き、某大學での損保経営講座なら何とかこなし得たが歌唱指導などとは思いも及ばなかった。
当日は実力者主催という事で100名ぐらいの学生が参加するらしい!作文スピーチコンテストの前座とはいえ今から緊張感で張り裂ける思い・・・
「日中友好」の為だから日本語を学んでくれている学生に、日本の歌の歌唱指導する位当然だろうと教授はおっしゃるが、獅子文六じゃあるまいし ”とんでもhappen〜”ではある。
老師 名曲”神田川”の詩心解説に苦戦中・・・中国の若人にこの情感が解るかな?
[安保闘争] [3畳一間の下宿] [貧しい同棲時代]
2014年12月07日 10時56分
12/6日 星期六
農業大学の女子学生リーダー3名が会館を訪れた、12/12日歌唱指導の為の選曲とリハーサルを兼ねてが主たる目的である。
遠路はるばるの来館に答え昼を近隣の中華料理店で楽しもうという事になり、少し酒も飲んで可愛い女学生達と小宴会で盛り上がった。
彼女達が選んだ曲は童謡”夕焼け小焼け”春よこい”シャボン玉とんだ”小さい秋見つけた”赤とんぼ”の5曲私の推薦した名曲”神田川”昴”は難しいらしく、中々うんと言わなかったが無理矢理押し込む。
後は実力者で伴奏担当のE教授の最終判断を仰ぐという段取りで・・・散会す。
教授から歌唱指導の前段階で、歌詞の心をよく学生に理解させろ!というお達しあり、早速”神田川”の歌心に就いて資料の検討に入った。
”神田川”は1973年世に出た曲、作詞は南こうせつが当時新進放送作家に頼み其の締め切り間際、電話にて受け取った歌詞を新聞のチラシに書き取りながら、自然と浮かんだメロデイを後ほど楽譜に記し完成させたという経緯であった。
当時、学生紛争のさなか若い人の多くは「世界を変えるんだ」と強い意識を持ち、闘争に人生を賭けていた作詞家も其の一人であった。
疲れてアパートに帰ると恋人が黙って夕食を作ってくれている。ふと教員免許でもとって静かに二人で暮らそうかなと頭をよぎることがあり、自分の信念がグラつきそうになる・・その恋人の優しさが唯一怖かったそうだ。
これが難解な「ただあなたの優しさが怖かった。」の本当の意味である。
敢えて言えば思想を捨てて日和見に落ち入る怖さということでしょうか。
更に大学紛争で活躍した 女性活動家で紛争終了後自殺した女性を念頭に作詞したとの事。
これを知って長い間の疑問が氷解したと同時に驚いたのは、この「神田川」の歌詞は女性から見た視点ではなく、男性の視点からの歌詞であることだ。
これまでこの歌詞の主人公は女性だっと思っていた。
時代背景1960〜70年代つまり我国政治史上最大の安保闘争で世の中が騒然としていた時代、作詞家は47年生まれ私達は43年だからそう変わらない世代、GDP世界2位に為ったのは68年なるもまだ当時日本は貧しく私達の結婚(67年)と彼が早稲田の学生運動家として活動していた時代は全く重なる。
神田川の近くの3畳一間の彼女の下宿で同棲していた頃の貧しくも切ない日々を思い出して作ったこの曲と、我々のお風呂も無い横浜三沢のアパートでの新婚生活は、重ねて言うが同じ時代背景にあったのである。
だから”洗い髪が芯まで冷えて”小さな石鹸カタカタなった”何も怖くなかった”という詩の一片々が私達夫婦の胸にびんびん響いてくるのである。
特に私の学生時代は貧しかったバイトに明け暮れて・・だから卒論も彼女が夜なべして清書してくれた、上京の折初めての背広も彼女が作ってくれたのである。
こんな時代背景や日本人の情感を中国の若人達が理解してくれるのだろうか?
と思いながらも真面目な日本人の爺は、教授のお達しに答えるべく12/12日に備え、おさおさ怠り無きよう四苦八苦している次第・・
老師 ハプニング続出の大學講演会で大笑い・・・失敗を笑いに変える関西人のど根性!
[人生初めての遅刻] [教室移動] [停電で真っ暗]
2014年12月10日 06時39分
12/9日星期二 本日は江西師範大学国際教育学院の講演日である。
一昨日の日曜日、お世話になったH先生とT氏を食事会にお招きし、新市街区の日本鉄板料理店で日本酒をしっかり頂き帰館後爆睡、夕刻目覚めた所へ師範大学Y先生からのご連絡で急遽決定!
しかも講演内容まで踏み込んだご要望あり、元企業経営者の立場から就活中の学生に役立つ話を、是非お願いしたいということであった。
今までの延長線上の講演なら準備の必要も無いが、ご要請に答えるとなると此方もそれなりの、新しいシナリオを考えなければならない。
講演に限らず事前準備こそが成否の鍵と心得る私にとって、会館授業を午前午後と抱える身一日しか猶予がないのは正直きついが、乗り掛かった船と諦め準備に取り掛かる。
孫子の兵法”彼を知り己を知れば百戦殆うからず ”で行こうと直ぐ閃いた!
つまり”企業がどのような人材を採用したいのか”を知る事が肝要と学生に教えたい・・・企業が求める人材は私の経験則からいっても”自分で考えて行動できる人”に他ならない。
もっと具体的に云うと”自分でものを考える力”を持ってる人材を求めているのであろう!
そのような資質があるかないかの判断は、その人物に自分なりの「行動原則」「黄金の法律」「自分のルール」を持つや否やで見分けられよう!
例えば私の場合先述したように”講演に限らず事前準備が成否の鍵”という自分なりの原則を持って全て対処してきた、事前準備さえして置けば何百人の講演でも怖いものは無い。
又森羅万象全てに”チャレンジ精神””行動力”という自分の「黄金法律」で乗り越えてきた。企業人はそういう物差しで学生を見てるという事を教えて上げたいのである。
企業は過去の経験則から”学力と学生の力量”のアンマッチを知っている、其の人物の”伸びしろ”を見極めたいと思ってる筈なのである。
勿論企業は採用に当たり貪欲だから、「協調性」「頑張る力」「コミ能力」「発表・表現力」「リーダーシップ」「チャレンジ精神」「パッション」etc要求する企業もあることを知って置くべきである。
学生に以上の全てを求めるのは酷であろうが、企業の求める人材像を念頭に面接の場で如何に自分をアピールするかの作戦をしっかり構築する戦略戦術を授けようというのが私の魂胆である。
此れだけ準備したのに当日になってハプニング続出!先ず迎えの車が定刻を過ぎても来ない!専属運転手が会館を知らないらしい・・同乗の迎え役の女学生が泣きべそをかいていた。
授業開始に間に合わないと判断タクシーに飛び乗る。
少し遅刻し大學に着いたら担当教授二人が今や遅しと待ちかまえていた。
広い構内を走って教室に着いた時は定刻を10分も越えていた!
それからUSBをOHPにと作業を進めたが旨く動作しない!急遽教室を変更!
資料コピーする暇も無く取敢えず開講するも今度は停電で教室が真っ暗!踏んだり蹴ったり・・・もう全員で笑うしかなかった。
それでも踏ん張って何とか講演を勤め上げ・・・教授女学生含めて慰労会場に移動した。
色んな悪い事が重なったが其の所為で学生達との距離が一挙に縮まった思い・・失敗を笑いに変えて今までに無い盛り上がりの慰労会となった。
今日の講演で都合6大學9回目後は、12/12日の歌唱指導とスピーチコンテスト審査が終われば、大学関係から解放される。
12/15日には会館受講生4名との少し早いがお別れパーティを計画している、可愛い教え子と別れるのは辛いが行付けに為った鉄板料理で肉でも腹いっぱい食わせてやろうと思っている・・・