老師 遥か南昌の地で高校時代の仲間からの国際電話に涙する!

「国際電話」「仲間」「回顧」

2014年10月21日 11時14分

10/21星期二
 昨日は福島のT君別荘から思いがけない国際電話を頂き、高々時代の仲間の変わらぬ友情に一人涙する思い・・・

 南昌の友好会館から貸与された携帯の呼び出し音は兎に角けたたましい!何事だろうと慌てて出ると・・懐かしや友の声!晩秋の東吾妻山縦走で豊田・今雪・石井・和木・加藤君らが集うのは聞いていたが、まさかの国際電話である。

 昨日はすき焼き今日は山形芋煮汁で酒も程よく回り大いに盛り上がってる様子!全員順番に電話に出てくれた・・酒を断ってるといっていた潤兄も飲んだ様子全快を祈ってやまない!
 酔っ払った加藤君が君の留守に細君を11月の神奈川宿散策に誘うが良いか?といきなりほざく・・

 そういえば我愛する妻は今頃高松のG君山荘で11名の元雪持ち笹女子会とやらで、徳永君の二蝶弁当と細川君の鹿ケーキで盛り上げって居る筈・・・高校出てから早53年の月日が流れたが、夫婦共々蛍窓の友に恵まれて人生の黄昏時を青春しているか?

 振返れば高々時代は下手だが好きな野球一筋!お陰で勉学に励んだ仲間とは大学期も含め6年間のハンディを背負い込んだ、社会人になり座学に勝る得難い体験・訓練が出来たと思い直し厳しい試練を乗り越えてきた。

 生き馬の目を抜くビジネス社会、資本金1千億・売上げ1.2兆円・従業員1.5万人の企業で存分にいいリーダーシップを発揮する事が出来た。晩年は従業員僅か2千人だが関連企業のトップも務めさせて頂いた。

 下手な野球も1年生秋期大会で宿敵高商と優勝戦を3回も戦い、2年春は県大会優勝・2年秋期大会又もや優勝戦で高商に破れ甲子園の夢跡一歩届かず、3年春県大会で優勝戦で坂商に苦杯と美酒は味わえなかったが、精一杯高々野球を堪能できた。
 取分け2年生の夏が終わり新チーム編成時、甲子園目指す戦力が整いつつあるとの判断から、長躯遠征により近畿・愛知・岐阜の一流校と対戦し互角に戦えた事が、強烈な自信となり我々の力が全国レベルに近い事を確信できた。

 私自身も特に恵まれた才能無く特段の活躍は出来なかったが、3年になってやっとレギュラーの一角を占め、一番打者二塁手として母校の野球部史に名前を残すことができたことを、この上なく誇りに思っている。

 そんな往時の夢物語を思い出させてくれた仲間からの暖かい国際電話であった。謝々!
                            (本稿は趣味人倶楽部に掲載せず)




  老師 「南昌便り」が高松日中友好協会会報に掲載さる!

[ヘレンケラー講師] 日中友好] [南昌便り]

2014年10月22日 09時01分

高松日中友好協会より会報へ掲載する原稿依頼があり、早速乍ら以下の如く纏めました。 
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愛してやまない故郷高松を離れて早半世紀近くになります、現横浜在住の私に高松日中友好協会様の格別のお取り計らいにより、中国南昌派遣が実現できました事を、先ずは心から感謝し御礼申し上げます。

しかも「日本語指導の経験がない」「中国語が話せない」「71歳と若くない」のヘレンケラー状態にも拘らず、佃会長から今日のような日中情勢の中、一人でも多くの中国の方々に、日本・日本人・日本文化を知って頂き、理解していただく事に意味があると仰って頂き後押しされました。

然り乍ら日本語を理解しない中国の方々に、中国語を話せない私がどうやって教えるのか?日本語指導の経験がない私は初歩的な問題解決のため、遅まきながら日本語講師養成講座を受講する事になりました。

付け焼刃乍ら何とか卒業はしたものの確たる自信も持てません、其処で事務局長の塩田様に無理遣りお願いし派遣時期を半年程ずらして頂きました。

その間横浜の日本語学校で様々な外国の人達に、実習訓練を兼ねて指導する機会を与えて頂き、何とか教師らしき体裁が相整った状況で、9/30日羽田を発ち北京乗換えで南昌入りした次第であります。

中国は折りしも「国慶節」で長期休暇中にも拘らず、南昌市外事弁公室の方々には本当にお世話になりました。

中日友好会館も多少古くなったとはいえ、環境施設等申し分の無き受け入れ態勢で、只今来南22日目に相なりますが、何の支障なく中国の方たちのおおらかさ!優しさ!に抱かれて快適な毎日を送っております。

残念な事は6ヶ月続いた市役所職員対象の日本語教室が来南前に中止決定されていた事、会館受講生が二人と少なく勢い込んで来ただけに、多少思惑外れの感無きにしも非ずという所でしょうか・・・

然し乍ら一人でも多くの中国の人達に、姉妹都市提携プロジェクトの派遣事業を通して、草の根ながら日中友好を促進する大きな目的が残っております。

今のところ「日語角」を基点とし毎土曜日、20〜30人の大学生を対象に語り合っております。この活動は必ずや日本を理解して頂く友好の大きな力となるでしょう!

                        (本稿は趣味人倶楽部に掲載せず)





老師 45歳離れた野球部後輩と南昌の地で偶然出会う!嬉しからずや!

[野球部後輩] [奇遇] [摩天楼]

2014年10月24日 22時06分

10/24日星期五
 今日は 日曜日の「世界遺産廬山」観光に備え、この処 風邪もあり控えていた 青山湖畔散策を再開した。

 写真には霞んで上手く撮れないが、対岸の新市街区の摩天楼を遠目にし、綺麗に整備されたこの路を歩くのは 本当に爽快!

 座禅を組む人・二胡を弾く人・書道の達人・釣人・太極拳を演ずる人・子供をあやす人・恋人・孤独を愛する人etc様々!

 時には日本人だろう?と話しかけて来る人もいたが、悲しい事に中国語を解せず”対不起”といって勘弁して貰う・・・

 其れにつけてもこの国の建設ラッシュは想像を絶する!

 我会館の前に聳える「五湖大酒店」はホテルだが、外観完成するも資金不足で開業に到らず放置されたまま、何とももったいない話である!

 昼前に散歩から帰るとT氏が待ち構えていた!恩師のH先生が突然訪ねてきたとのこと、昼食をご一緒願えないかとのお誘い、断る理由も無いのでお受けした。

 近くのこ洒落た中華料理店で夜でもないのに大宴会!白酒・混合酒・ビールが次々に注がれる、私は2時からの授業を控え断るもお構いなし!T氏殊の外ご満悦!

 処が恩師H先生の連れの青年の経歴を伺って吃驚仰天!何と我母校の後輩でしかも同じ野球部出身であった。

 45年もの歳の差があるので勿論お互い知る由も無いが、同じグランドで甲子園目指して泥に塗れた仲間ではないか!急に嬉しくなって意気投合!授業を忘れてちょっとだけ飲む・・・

 異国の地で偶然出会った先輩・後輩別れ難く、後ろ髪惹かれる思いで教室に馳せ参じる。

 勿論明日延長戦遣りましょう!と別れ際後輩が囁く”義を見てせざるは勇無きなり”先輩として後輩に背を見せる訳には行くまいと再会を約して別れた。

 恩師H女史も心から喜んでくれた、明日も同席してくれるという、まさに奇遇としか言いようが無い・・・

 しかもH女史先生の勤務する学校での私の講演までとんとん拍子で話が進む!

 これぞまさしく中日友好草の根外交!中国の若人に71年の人生経験を踏まえ一つでも生き残るヒントが与えられれば此れに勝る歓びは無い!







  老師 「世界遺産廬山観光」に挑戦するも高度恐怖症にて断崖絶壁に恐れを為し退散す!

[高度恐怖症] [脊柱管狭窄症] [事前学習]

2014年10月27日 07時28分 

10/25日土曜日は来南3回目に相成る「日語角」開催日!

 老師の心の中では日中友好という観点から最大の活動の舞台!
大勢の大学生に囲まれて、多少無理があるが恋愛談義・若者文化から日中の政治経済文化歴史スポーツに到るまで、相互理解の輪が広がる・・・楽しからずや!

10/26日日曜日「世界遺産廬山」観光と洒落込んだ!

 早朝6時会館出発、館長が廬山観光ツアーの全てを手配してくれたので私はついて行くだけ、天気も良く絶好の観光日和なのかバスの集配所は大混乱!やっとの思いでバスを探し当て勇躍車上の人となる。

 総勢40名余を束ねる可愛い女子大生風のガイドさんの速射砲のような中国語案内は勿論全然わからん!が下記のような事前学習をしていたので、大体このようなことを喋っていたのだろうと想像す・・・

 廬山は中国江西省九江市南部にある名山。峰々が作る風景の雄大さ、奇絶さ、険しさ、秀麗さが古来より有名で、「匡廬奇秀甲天下」(廬山の奇秀は天下一である)と称えられているそうな・・

 又四周を断崖絶壁に囲まれ、近づきがたい雰囲気が漂っているが、山頂付近にある嶺一帯は、雲や霧が漂い渓流が流れ、風景の美しさで知られ中国四大避暑地とされているそうな・・

                  (その他は写真集)

 廬山は、紀元前126年に司馬遷が廬山を登り『史記』に書いて以後、無数の文人墨客が廬山を訪れるようになった、東晋の田園詩人で九江の人・陶淵明に「菊を採る東離の下、悠然として南山を見る」と歌われたのをはじめ、李白、白居易ら多くの詩人に歌われているそうな・・

 また、宗教的な聖山としても古くから名高く、中国第一の仏教の聖地であり、全盛期には全山に寺廟は三百以上を数えた中でも「虎渓三笑」の故事で知られる、東晋の慧遠が住した東林寺で有名であるそうな・・

 毛沢東ら中国共産党高官も、避暑地である廬山に山荘を構えていた。
1930年代には廬山は南京国民政府の「夏の首都」であった。
1937年、蒋介石は廬山で抗日講話を発表し、日本軍との全面抗戦を開始した。

 中華人民共和国の成立後、毛沢東らは廬山を三度訪れ、中国共産党中央会議をここで開いた。
 その中でも1959年、廬山で開かれた中国共産党政治局拡大会議(廬山会議)では、国防部長・彭徳懐が追放されるなど、中国現代史の舞台ともなっているそうな・・

 「世界遺産廬山」は学習通り訪れた甲斐があり堪能できたが、問題点は私の右足脊柱管狭窄症の悪さが愈々本物になってきた感あり!

 若い時はスポーツマンらしいと形容された男も”昔日の面影今何処”館長の手を借りて険しい断崖絶壁をよろけながら上り下り・・・限界此処に極まれり”這う々の体”で退散を余儀なくした次第であります。




  老師 二夜連続の”白酒”攻撃に敢無く撃沈す!

[受賞記念パーティ] [白酒] [講演会]

2014年10月31日 22時21分

10/30日星期四 本日はT先生「政府蘆山賞」受賞記念パーティ!

 この時節日本人に政府が表彰を授けるというのは、諸々含めて・・日本人教師初の快挙だそうである。

 総勢25名江西省政府隣りの「通大酒店」に集う!此の所この種会合には必ずお呼びが掛かるように相成った。

 来南僅か一月にして、もうすっかり南昌の人達に認知された思いで、嬉しいのだが”白酒”の魔力に毒されてつい々酩酊深酒となるのが玉に瑕・・・

 宴たけなわ中国を代表してT教授が歌う!続いて日本人を代表して歌えと指名を受ける! 漢民族に蒙古帝国の”成吉思汗”がどう映っているのか知る由も無いが、この歌は勝新太郎が即興で作った歌、誰も知らないだろうことを信じ一興唸る。
 盛会が終焉を迎える頃、R会長がこの後の二次会に付き合えと”悪魔の囁き” 社用族のお抱え運転手付車に無理矢理押し込まれて、接待用高級クラブに轟沈!
久々に現役時代の一時が甦る。

 調子に乗ると止まらないのが酒飲みの悪い癖! 三次会を終えて帰宅したのは当然午前様! どういう経緯か忘れたがY教授が拙宅(会館)に泊ることになっていた。
 シャワーを浴びベッドの上で延々3時ぐらいまで、中国での難しい立場・日本人教師事情に就いて聞かされた。

 少し微睡んだだけで今度は私から中国の抱える諸問題に就いて、諸々伺う・・みっちり3時間ぐらい貴重な現地の偽らざる生の声が聴取でき極めて有意義な一日であった。



10/31日星期五 二日酔いの我々二人に緊急電話!

 N総合大学の副委員長実力者のE氏から 自宅で鉄板焼きパーティが始まるから、迎えの車に同乗の上直ぐ来られたしとのこと、昨夜宴席でうっかりY先生が約束してたらしい・・・

 東京大学院卒のE教授 苦学生時代、鉄板焼き店アルバイトで鍛えた腕前を披露!写真のように豪快な男の手料理!

 魚・バラ豚肉・ロース・家鴨・サヤエンドウ・茄子・玉葱・餅・焼きそば・お好み焼きとフルコースを堪能!

          

 午後からの授業に差し支えるからと固辞する私に、又もや”悪魔の囁き”白酒飲んで酔う教師は一人前に非ずと”敵に後ろを見せるなとは亡き親爺の遺言”でもあり又もや頂く・・・

 こんな破天荒な南昌生活でも 収穫はあった、実力者E教授の口利きで友好の舞台(大学生への講演会)を設営して戴けるという事、此れで都合4大学の講演が実現できそう・・・

 勿論専門家に非ずして其の成果に一抹の不安感はあるが、チャレンジ精神と実行力が私の身上今までもそれで人生を切り開いてきた、酒に神経を侵されつつあるが意気だけは軒昂なり・・・